2010年11月6日土曜日

⑩六段という曲について

お箏のお稽古を始めて、
指の練習のような小曲集からはじまり、
やっと、お箏らしい曲を習える・・
その始めの曲に「六段」があります。

今日はその六段についてのお話です。


第2回のコラムで、
芳しい 京菓子の「八つ橋」と共に、
八橋検校(やつはしけんぎょう)のお話と
代表作の「六段の調」についてふれました



そして
「糸竹初心集」や「糸竹大全」の中に掲載されている
「すががき」と「りんぜつ」とを
八橋検校が、発展させていき

「六段の調」や「乱輪舌(みだれりんぜつ)」などの段物を作ったのでは?
とされてきました。

そして、もうひとつ
八橋検校や前回コラムに登場した政島検校が参考にした、
「糸竹大全」「糸竹初心集」は、以前より、
中国の明楽や、
キリシタンとともに伝来したルネッサンス音楽の影響が指摘されていました

雑誌 邦楽ジャーナル10月号で  
箏演奏家の坪井光枝氏と
音楽学者皆川達夫氏
の研究した内容が掲載されておりました



それは、
九州の久留米にある善導寺に7歳の時に入門した賢順
(けんじゅん 1534~1623)という人がいます。
この、善導寺では管弦演奏の奏者育成がなされていて、
ここでの勉強のみならず、
様々な方から学び、自らも作曲して
「筑紫箏(つくしごと)」と人々に呼ばれるようになりました。

賢順の箏に心惹かれた 豊後国大名・大友義鎮(よししげ)は、
善導寺に要請して賢順を豊後入りさせました。
豊後は、キリスト教が定着しており、
流行歌さながらに子供達が歌うほど、キリスト教の音楽が浸透していました。

そして、それらの曲を箏で演奏したいと思い、
賢順が『六段の調』 『乱』 『八段』 を作曲したと考察されます。

1587年に豊臣秀吉によって発布された
キリシタン禁制令により、キリシタンは苦難を強いられておりましので、
作曲した上の3曲を秘曲として外部に出すことをしなかったが、
二人の弟子のうちの玄恕のもとを八橋検校が尋ね、
秘曲を伝授され、京に戻ったとされています。



「クレド」という、
グレゴリオ聖歌のメロディーに乗って歌われてきた信仰宣言があります。
そのクレドと『六段の調』が、
全体の寸法だけではなく、フレーズの区切れにも当てはまります。
そしてそのままでは、キリシタン音楽とわかるので
「平調子」を考察して、音階をかえてまで秘曲を演奏したかったのでは
という説。

一方
キリシタン音楽を禁制令只中の八橋検校が耳にするのは難しいのでは?
という観点、

いまではYoutube とかでも検索できるので
さっそく師匠と聴き比べましたが、、
私的には・・・???
どうも解釈に無理がある感じがしましたが、、
みなさんはどうかしら?

クレド で検索すると出てきます。

賢順の二人の弟子のうちの もう一人の法水が
江戸に出て琴糸商となり八橋検校と出会ったのが
筑紫箏と八橋検校との出会い、という説もあります。




六段の調べ&乱 輪舌
尺八・箏合奏
¥2,000

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