2017年9月28日木曜日

稚児桜の演奏 川崎能楽堂にて



2017年9月24日(日)

稚児桜のブログと同時にお楽しみください


歌詞


鞍馬の寺の稚児桜  咲けや四海に馨るまで

昼は読経を勤むれど  

暮るれば習ふ太刀剣

思ふ源氏の再興を  天満宮に祈らんと  夜毎に渡る五条橋


笛の音高く 夜は静か

思ひもよらず傍(かた)へより  出でて遮る大法師


太刀を給えと呼ばはれば 

太刀が欲しくば寄りて取れ
    (※)


さらば取らんと打ち振るふ

薙刀つひに落とされて、

今ぞひたすら降参の、誠を表はす 武蔵坊


さては汝が弁慶か  牛若君にましますか


主従の契り深かりし

鏡は清し加茂の水

2012年11月19日月曜日

22-② 打ち合わせという演奏②「鳥追神楽について」

22の投稿で打ち合わせという演奏について書きましたが、
最近、富士喜会で頻繁に稽古しております
鳥追神楽についてご紹介したいと思います。


「鳥追 神楽」は、
「鳥追」と「神楽」という
2つの三絃の曲を
同時に弾いて合奏いたします。

※「神楽」は、京都の津山検校(生没不詳 1755登官)が作り
(「津山撥」を考案した津山検校とは別の人です。)

※「鳥追」は、松浦検校(?~1822、1798登官)が後から「神楽」に合わせて
作りました。


「神楽」が先に作られていたようです。

それぞれの曲について御紹介します
まず、
「神楽」は、

国土安穏を祈り、
神楽が行われる 賀茂の社の繁栄を謡った
「室君」という能で謡われる曲の歌詞を
途中から最後までを使っています。

そして
兵庫県室津の
賀茂神社の小五月祭で謡う
「棹の歌」の歌詞そのものを
「神楽」の歌詞としているようです。
室津 小五月祭 棹の歌


日々遥かさんのブログからお借りしています。
快諾していただきました。小五月祭の動画もあります。>
















比叡山の高僧が
「生きた菩薩を見たければ室津の遊女を見よ」
と夢のお告げがあった、と描き
神職の命により、遊女たちが集められる様子や
棹の歌を歌う様を描いています。
<古では、遊女は巫女の役割を担っていました。>



「鳥追」について

松浦検校作曲「鳥追」では、謡曲「鳥追舟」より、
毎日の鳥追いの仕事の辛さと、
妻の嘆きの部分が歌詞として書かれております(^^)
その「鳥追舟」ですが、
室町時代に謡曲師、金剛弥五郎によって書かれました。
それは
鹿児島県の向田という所に伝えられる話
日暮長者伝説)が
もとになっているようです。


昔のこと、
向田の川内の日暮という所に
ある長者が住んでいました。
家には、
「北御方」と「花若」という先妻の子供と
継母の「お熊」と共に暮らしていました。
長者が公務のため、家を長く留守にしていると
お熊は、子供たちを酷使し、
舟に乗って水田の鳥を追う仕事もさせていました。
姉弟は、この辛い仕事の合間に
宮里に住む実の母、柳御前とひそかに会うのを
楽しみにしていました。
それでも、あまりの辛さに姉弟は
平佐川に身を投げて 死んでしまいます。
そこへ長く家を留守にしていた
実の父が帰って来て嘆き哀しむのでした。

能楽で、地方の物語を題材にしたものは
珍しいとのこと。
向田地区には、日暮長者伝説の姉弟を祀る
鳥追の杜があり、社には今も能楽関係者が
人知れず訪れ参るといいます☆
  
謡曲の「鳥追舟」は、伝説とは異なり、
ハッピーエンドで終わっています)

松浦検校作曲「鳥追」では、
伝説通り
毎日の鳥追いの仕事の辛さと、
妻の嘆きの部分が歌詞として書かれております。

***********************

さてこの2曲の打ち合わせですが
尺八も
「鳥追」の三絃&尺八と 
「神楽」の三絃&尺八
で、分かれて座りまして 同時に演奏いたします。

三絃の調子は、「鳥追」と「神楽」の両方とも
「二上り」という調子で別々に別な歌詞で唄います。

「つづみ」と歌う部分で、
三絃(三味線)の棹を
指で打つ奏法になっていたり、
音の並び、
歌詞の入る場所、
唄の伸ばした母音も同じにしていたり、

この、「神楽」と
打ち合わせ出来る様に意識して作られたことを
演奏していて実感できます。

とはいえ、
全く違う歌詞ですし
合奏する時は、
相手を聴きながら
音の強弱、陰陽の音程具合の微調整が必要です。

それがうまい具合にいくと
時々一致したり、ハーモニーになっていたりする
節の面白み、曲の遊びを
楽しめるかと・・・・

三絃を学ぶ歓びを感じられる曲と
お仲間に感謝しております。

 

2011年11月8日火曜日

和の音いろ -紀尾井ホールにて

富士喜会 和の音いろ  






このたび、富士喜会では会員とともに、「和の音いろ」演奏会を
開催させていただく運びとなりました。
それもひとえに、常に変わらぬ皆々様のご厚誼と、
ご助力くださいます諸先生方のおかげと心より感謝しております。
この感謝の気持ちとともに、
ここへ至るまでの富士喜会の活動の歩みを振り返り
出演者一人ひとりが、一音一音大切に気持ちをこめて
演奏させていただきます。
当日舞台に上がっていない会員一同も同じ心で
こらからも、「和」を以って精進していく所存です。
どうぞ今後ともよろしく
ご指導、ご支援賜りますようにお願い申し上げます。

プログラム 5曲

一 【八千代獅子】 
   
江戸中期・三絃の技巧の始まり
三絃という楽器が広まってきますと、
その技巧を聞かせるための曲が多く作られるようになりました。
中でも、「○○獅子」と曲のタイトルについております、
「獅子物」というジャンルが流行っていきました。 
この八千代獅子は、「ずっと幾年にも続いていくー八千代」を祝う獅子舞の曲です。
この曲は、琴古流尺八 宗家竹友社創立百周年記念演奏にて、
富士喜会が演奏いたしました思い出の曲でございます。

元々は、「朝顔獅子」という尺八の曲だったのを、
政島検校が胡弓に移曲。
それを、藤永検校が三絃に移したことにより広まったとされる曲です。
 
今回は、前唄の箇所からではなく、大鼓と小鼓の響きから始まり、
リズミカルな手事へと続いて演奏してまいります。

二 【稚児桜】  

明治新曲
菊武祥庭が明治四十四年に、当時の小学校の教科書の文章にヒントを得て、
作曲いたしました。
鞍馬の稚児(寺院などで召し使われる児童)であった牛若丸が成人して
義経となるまでの話は、昔から人気がありました。

歌詞となっております文章には、牛若丸と弁慶の運命の出会いを中心に書かれています。
   
牛若丸は、昼は仏典を読み学問に励み、夜は武芸に磨きをかけ、
夜毎に源氏の再興を天満宮に祈願していました。
そして、ある夜のこと、牛若丸が弁慶と五条橋で出会い、
太刀をもらいたいという弁慶に、牛若丸が「太刀が欲しくば寄りて取れ」と答え、
その立ち回りの様子を見事に箏で表現しています。
立ち回りの場面では、「地」という、同じパターンを繰り返す奏法で弾く箏が入ります 。
左手と右手で「ツルシャン、ツルシャン…」 と繰り返されるのですが、
その軽やかな音色は、五条橋の欄干を「ひらりひらり」と
跳び歩く牛若丸の様子を表しています。


三  【乱輪舌(みだれりんぜつ】  
    
江戸・筝曲の始まり
長年にわたり、古曲の代表作で人気のあります、
「六段の調」と同じ「八橋検校」が一七世紀に作曲したとされておりました。
近年の論文の中で、「六段の調」と同様に
キリシタン音楽を移曲したのではないか?という説もございますので、
「伝 八橋検校作曲」といたします。
十段の調べともいいます。
輪舌とは、走っている車の両輪の本奉の間に出来る 空間の形の事をいいます。
調子の変化が無限に変化する様子が 丁度ダイヤモンドの屈折をみるようで、
日本語では その様に無限に変化して数え切れないものを称して
乱という言葉で表現します。              (井上 江雲 解説) 
 
 
四  【夕 顔】  

江戸後期
「夕顔が綺麗に咲いた侘しい家があり、そこで ふと見かけた女に、
十七歳の源氏は心惹かれる様になり、源氏が近くの別荘に女を連れ出し、
夜に就寝していたところ、物の怪が現れて…」 
これが、曲の題材となっております、源氏物語・巻四の「夕顔」の情景です。      
歌詞では、源氏がとても美しい夕顔を見初めた様子を中心に描かれております。

当時の人が、皆が知っている物語を題材にした曲を作る場合、
この夕顔もそうなのですが、
物語の筋を、なぞるのではなくて、歌詞を
詩的に表現したものとなっているのです。

たとえば
「白露、光を添えて」とあるのですが、

それは、
夕顔が詠んだ
「心あてに それかぞとみる 白露の 光そへたる夕顔の花」

を表していて、
当時(江戸時代)の人々にとっては、
源氏物語の「夕顔」の巻も、物語の中の夕顔が詠んだ歌も
よく知られているものだったようです。

下に載せました夕顔の場面は
源氏が咲いている夕顔がほしいと言って、
家来に取りにやらせて、
「夕顔」の邸の者が、扇子に夕顔を乗せて、
源氏の家来に渡す場面です。


 今回、この「夕顔」
琴古流尺八 江雲会宗家の井上江雲先生が好きでした曲の一つでございまして、
情緒豊かで美しく、優しい感じのする曲です。
短い曲で、弾き易い様にみえることから、箏や三絃を始めた方が、
早い段階で習う曲なのですが、曲の深い趣を表現するのには、
大変難しい曲でございます。

箏と三絃と尺八とで合奏する三曲合奏の形式で
演奏されることが多い曲ですが、今回は、三絃と尺八とで合奏いたします。 


 

五  【富 士】  

昭和の曲
大月宗明先生が、昭和四十六年に作曲いたしました。
我々「富士喜会」のテーマ曲として、演奏会毎に寄せている曲でございます。
箏本手・替手、三絃、十七絃、太鼓、尺八 と多くの楽器を用いての合奏曲です。
   
どの楽器が飛び出て聞こえることもなく、調和し、
華やかですが安定していて、壮大な感を受けるその構成は、
「富士」のありのままの姿を感じさせます。

作曲者の大月宗明先生の承諾をいただきまして、
一部分を抜粋させていただき、また、原曲よりも、緩やかな部分も多く、
「富士喜会流」で演奏いたします。

2011年11月13日 日曜日 紀尾井ホール 14時開場 14時半開演 
3,000円

平安時代 源氏物語絵巻より「御法」の場面
(ニ玄社 原色かな手本より)


近世初頭 土佐光吉筆 「夕顔」の場面
(小学館日本の古典より)

2011年7月20日水曜日

稚児桜

ただいま、富士喜会は
11月13日の紀尾井ホールの演奏会「和の音いろ」へ向けて
胸をわくわくさせながら、稽古に励んでおります。
その中の一曲に稚児桜という曲があります。

写真はその名も稚児桜。
なんとも愛らしい花です。


邦楽は、江戸時代に、
三絃(三味線)と箏(琴)の合奏の曲がどんどん作られ、
発展していきました。
そして、幕末になりますと、
箏のみでの合奏曲が書かれる様になり、
明治に入りましても
箏の曲が多く作られていきました♪
今回は、そのような明治時代の筝(琴)の曲のお話です。


『稚児桜』

桜の花の様な稚児=牛若丸として、
曲のタイトルを「稚児桜」としています。
稚児とは、
寺院などで召し使われていた児童のことをいいます。
鞍馬の稚児であった牛若丸が成人して義経となるまでの話は、
昔からとても人気がありました。


情景が浮かび易い曲の歌詞は、
当時の小学校の教科書から採ったものでした。
この教科書の文章をヒントに、
菊武祥庭(1884~1954)が明治44年に作曲し、
当時、全国的に流行したとのこと(^^)


歌詞となっております文章には、、
牛若丸と弁慶の運命の出会いを中心に書かれています。


以下に歌詞をご紹介しますね。


鞍馬の寺の稚児桜  咲けや四海に馨るまで

昼は読経を勤むれど  

暮るれば習ふ太刀剣

思ふ源氏の再興を  天満宮に祈らんと  夜毎に渡る五条橋


笛の音高く 夜は静か

思ひもよらず傍(かた)へより  出でて遮る大法師


太刀を給えと呼ばはれば 

太刀が欲しくば寄りて取れ
    (※)


さらば取らんと打ち振るふ

薙刀つひに落とされて、

今ぞひたすら降参の、誠を表はす 武蔵坊


さては汝が弁慶か  牛若君にましますか


主従の契り深かりし

鏡は清し加茂の水

ここに書かれている

牛若丸は、昼は仏典を読み、夜は武芸を磨き、夜毎に源氏の再興を祈願していました。

いつものように、静かな夜空に 牛若丸が高らかに笛を吹いて五条橋にさしかかると、

行く手を遮る大法師が現れて、太刀を もらいたいという。

牛若丸が「太刀が欲しければ腕づくで取っていけ」と答え、

牛若丸と大法師(弁慶)の立ち回りを箏で表現した合奏が奏でられます(※の部分)

立ち回りの場面では、

「地(じ)」という、同じパターンを繰り返す奏法で弾く箏が入ります。

左手と右手で「ツルシャン ツルシャン……」と繰り返すのですが、

その軽やかな音色は、五条橋の欄干を「ひらりひらり」と跳び歩く、

牛若丸の様子を表現しています♪♪



この「ツルシャン」の「地(じ)」の様に、

右手で「ツル」と弾いて、左手で「シャン」と和音を弾く「地(じ)」は、

明治の箏曲から誕生しました。

この「地」のもともとは「巣籠地」といって、

胡弓曲の「鶴の巣籠」という曲に由来して出来たもので、

「ツルテン ツルテン……」と繰り返す型が元となっています。

「鶴(ツル)」は、「松」に「巣を作る」ので、

「ツルテン ツルテン……」の「巣籠地」は、

曲の中の「松」が出てくる箇所や、

「松竹梅」の様な「松」が織り込まれている曲…などに使われます

お箏の演奏を聴く機会に、
このような「地」を使った曲に巡り合えるかもしれません


★名古屋系の流れを組む『稚児桜』では、文章の様な「地」と「本手」の合奏ですが、
 大阪系の流れを組む『稚児桜』では、「地」ではなく、箏の3部合奏として曲が作られています

鞍馬寺

2011年6月4日土曜日

お稽古をはじめる前の調弦 ♪ 短箏との違い

いつものお稽古場での様子です。

お稽古場に伺って、向かい合って座ります。
まずはご挨拶。


筝と筝の合奏のお稽古をはじめます。

そして、2面が同じ調弦にする曲だったなら…



まずは、師匠が弾く筝(種箏)を丁寧に調弦します。
そして1弦ずつ、音を出して
もう一面の箏の音が一つになるように
琴柱を動かしながら合わせていきます。

2面を同時にぴったり合うよう
一の弦から順番に二回ずつ同時に弾きながら
確認しつつ、微調整していきます。




↑このようにして同時に弾いてみましてから、微調整していきます。

この「音が合う・合わない」ということについてですが、
爪が弦に当たった瞬間の音は 「音」なのでそれを、比べるのではなくて

その後の、余韻ーこそが、「箏の音(いろ)」です。

それを「合わせる」ということなのです。

それには

耳を澄ませて、集中して、音の波動を合わせることが

必要です。

そして二つの音色が一つに聞こえるところで箏柱を留めます。

これも慣れといえば慣れなのですが、

この意味がわかってくることがとても大切で

とりもなおさず、自然にこの時間が

ここから曲を弾く心の準備にもなっているのです。


※以前に、「平調子」の調弦をした動画をご覧になって頂きましたが、

↑今回の調弦は、

『富士』という曲のための調弦ですので、

「平調子」に調弦してから、

一の弦を1オクターブ下げ
四と九の弦を一音上げた調子です☆

昭和に入ってからの曲なので
古曲を弾く場合よりも六と斗の弦を若干高めに調弦してあります(^^)
このように、弾く時の曲に合わせた
節(メロディとでもいうのでしょうか)を大切にした
微妙な調弦をすることが一番大切で、
邦楽が邦楽らしく魅力的に聞こえる真髄
(現代音楽と違うところ)と
言えるかもしれません。
・・・でも美しくなければ音楽ではないというところから
すれば、すべて同じなのでしょうか?
コラムをUpしながらいつも改めて
自分に問うところであります。




前回のコラムでご紹介しましたー短箏・ちどりー

<「3年間で一種類以上の和楽器に触れさせること」と、
学習指導要領に盛り込まれているその和楽器ですが
それように用意された特別サイズのお箏>

和楽器に触れさせること=使いやすいサイズに変えてますが・・・
なんですね。


ちどりの場合はチューナーを見ながらねじで合わせます。
一つ一つの音を同じにする。
まずはそこからなのですが・・・
和楽器の
なかなか伝わりにくい、デリケートな部分こそが、
邦楽の一番の魅力・よさなのですが
しかしそれは一番面倒で時間とエネルギーのいる部分

それを伝える為に
何ができるか、模索中の私たちであります。